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2005年12月30日 (金)

アフリカ事情報告 Ⅳ(マダガスカル1)

11月9日夕刻、タンザニアのダルエスサラームからヨハネスブルグへと帰着した私達は、翌朝3時間の空の旅をへて神秘の島マダガスカルを訪問しました。

マダガスカルは人口1700万人、面積は日本の約1.6倍で世界第4番目の大きい島であり、6自治州の連邦形態による共和制をとっています。

 この国は、アフリカ大陸の東海岸に近いインド洋上に浮かぶ島ですが、大昔の古生代にインド・アフリカ・オーストラリア・南極大陸・南米が一体となって広がっていた古い大陸が分裂・移動した際、アフリカから分離し、孤立してしまったそうです。従って外界との接触が閉ざされ、動植物も独自の進化を遂げたため、野生生物の70%~80%はこの島にしか存在しない固有種であると言われています。

1960年旧宗主国フランスから独立し、西側寄りの政治姿勢が続きました。その後クーデターそして旧ソ連・北朝鮮との関係が強化されましたが、経済悪化の道を辿り、第3共和制へ移行、紆余曲折を経て現在はラヴァルマナナ大統領を先頭に、援助諸国協力のもと、経済再建のため様々の改革に取り組んでいるところです。

 さて、マダガスカルのイヴァト空港に到着した後、約1時間 首都アンタナナリヴォの中心地へ向かう道中、様々な光景を目にしました。耕運機がわりに牛を使って田を鋤く人、粘土質の赤き大地で家族総出で田植えをする人々、その赤土を材料としてレンガを生産するため田畑の各所で積み上げ天日干しをして、しかもその場で野焼きをして工場もなしでレンガを造り上げる人たち、また、赤茶色に濁った川のあちらこちらで皆が洗濯をして、地べたに洗濯物を置いて乾かす女性たち、赤土の粉煙にまみれた埃っぽい街並みとスラム街、どれ一つをとってみても、まさに終戦直後焼け野原から復興をめざす日本の原風景だろうと想像できる程の状況に驚きました。

 アンタナナリヴォに到着後、直ちに国会に向かい会談をしました。上院では6人いる副議長と下院では女性の議長代理とそれぞれの話を伺いながら、果してこの国のために日本が何を支援できるのだろうか、何から手をつけるべきなのか、大変な国に来たものだと改めて感じた次第です。     IMG_0057                 マダガスカルの小学校の授業風景①

  IMG_0059                                     後方壁面に日本のODAマークが見える

 

 その夜、少なくとも高級住宅街と現地の人々が認識している高台のレストランで、日本の企業戦士やJICA職員らと懇談しました。特に、私の隣席の元大洋漁業 現マルハの職員から、この地域で獲れた魚介類の多く(エビ・白身魚etc)が日本へ輸出されているということを伺い、日本からの距離の遠さが短縮されたような気がしました。

 ところで、このマダガスカルは、アフリカ大陸のお隣という地政学的な状況とは全く異なり、アジアから流れついた人々がアフリカとは違う稲作文化を定着させていて、いわば「アジアの稲作文化の西の果てマダガスカル」と表現しても過言ではない程アジア文化も根付いている国でした。

                                                                

《こぼれ話③》

IMG_0062
         美しく咲きほこるジャカランダ

 私達がマダガスカルを訪問した時期は ねむの木の一種 ジャカランダ のうす紫色の花が、日本の桜の如く咲きほこる季節であり、その花の蜜がまさに雨の如く降りかかってくるのには本当に驚きました。それにしてもジャカランダの花の美しさは埃っぽいマダガスカルでは格別のものでした。

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