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2006年1月12日 (木)

アフリカ事情報告Ⅸ(アンゴラ1)

 11月15日、ナミビアのウィントフック空港からアンゴラに向けて空路約2時間半、首都ルアンダ上空から眺めた街の印象は、その後市内を車で視察した印象と全く変わるものではなく、どこまでも続くスラム街や街に溢れる難民の人々、茶褐色の埃っぽい町、まさに最貧国の一つであり、内戦に悩まされ続けたアンゴラそのものでした。

 アンゴラは、人口1400万人 面積は日本の3.3倍でポルトガルから1975年に独立し、ナミビアの北に位置する共和国であり、石油・ダイヤモンド等の鉱物資源に恵まれ、農業、漁業等の潜在能力も高い国です。従って、将来的にはアフリカ諸国の中で数少ない自立可能な国の一つと見られていますが、長年の内戦(19752002年)により国内インフラは荒廃し、経済は疲弊している状況です。現在2006年に行われる予定の大統領選挙が適正に実施されるか否かが、アンゴラ内戦終結後の民主化を裏付けるものと注目されているところです。

 到着の夜は、大使公邸にロウレンソ国会議長代理、ジュニオール官房長官、アシス大統領特別補佐官、ジョルジ元外務大臣他アンゴラ政府要人と、在留邦人を招いての柴田大使夫人の手料理によるパーティーが開催されました。その場での意見交換の一つは、翌日のピトラネト雇用・社会保障大臣やミランダ外務大臣、モラエス大蔵大臣との会談内容にも相通ずるところがありましたが、アンゴラの現在抱える問題点である、内戦の結果として残った地雷の処理対策についてでした。

 政府軍とUNITA(アンゴラ全面独立民族同盟)との激しい戦いの終結はアンゴラに平和をもたらしました。しかし一方では、国内の要所要所に双方が数知れぬ程の地雷を埋めており、その結果として、①本来5060万都市の首都ルアンダの人口が350万人になる程増加した戦争難民達が、地雷の除去が未だ進んでいないため自分の故郷に帰ることができず、失業状態にある。②道路整備を含む様々な社会資本整備も地雷除去スピードが上がらないため思うように進まない。③町中に片足がなかったり、義足をつけている人々が数多く見られ、地雷による誠に悲惨な光景が見られる。などの状況が惹起されていました。IMG_0123 

                      ピトラネスト雇用・社会保障大臣

 

 現在、日本も地雷除去に対する支援等を講じているものの、その多くは直接地雷除去をしているイギリスのNGOへの資金援助とのこと、これでは残念ながら折角援助しても日本の顔があまり見えないということになり、その成果がODAの結果として表れないとの指摘がメンバーの多くから出されました。

やはり、今後の地雷除去に対する日本の支援のあり方としては、国連に所属している多くの日本人や青年海外協力隊員と連携を密にして、共に汗を流すシステムの構築や地雷除去機材の供与による処理能力の向上策、そして最悪の場合でも日本の技術を駆使した義足の提供等々を積極的にすすめていくことに重きを置くべきと感じたところです。なお、日本からの地雷除去機材の供与に関してはINAD(国立地雷除去院)の実績や経験に裏打ちされた管理能力に若干の不安があるため、支援が有効に活用されるための人的能力向上策を検討しなければならないとのことでした。

 

《こぼれ話⑨》

アンゴラ滞在二日目の昼食前後、アンゴラ政府から提供していただいた送迎車の中でラジオ放送が流れ、アナウンサーが絶叫口調で、ヤポン・アンゴラ・ナカタ・ナカムラの連呼。そして、昼食時のレストランでは、たまたまテレビが放映されておりその画面にはキリンカップ日本対アンゴラのサッカー生中継が放映されていました。11名×222名の動きが、テレビ受像機の不具合により二重になって44名の選手の動きとなり、大変見づらい状態でありましたが、まさに日本対アンゴラの国立競技場におけるサッカーの生中継を何と敵地アンゴラで見ることになるとは・・・。

日本のロスタイムでの得点に昼食を共にしたミランダ外相の落胆ぶりと、柴田大使の喜びようが対照的でしたが、本当に偶然かつ珍しい体験をしたものです。

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