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2008年2月29日 (金)

九州へ④ 普賢岳・・・火砕流の爪あと

 平成2年11月、約200年ぶりに雲仙普賢岳の新たな噴火活動が始まりました。

 平成3年には、地獄跡火口に溶岩ドームが出現し、何度も崩落して凄ましい火砕流が発生し、甚大な被害が発生したことは まだ記憶に新しいところです。

 死者・行方不明44人、建物被害2,511棟(土石流 1692戸・火砕流 808戸・その他 11戸)、被害額 2,299億円、最大避難人口 2,047世帯  7,208人。

 その被害の実態と復興状況視察のため、雲仙復興事務所長の案内で 現地に入りました。Cimg1082 Cimg1080

 まず最初に、平成3年9月15日に発生した火砕流により焼失した 大野木場小学校が そのまま現地に保存されている被災地と、それに隣接する大野木場砂防みらい館を訪れました。Cimg1083 Cimg1086

 火砕流により一瞬で焼き尽くされた実物の校舎の様子は、自然の驚異を改めて実感させてくれます。

 ただ、一緒に焼けてしまった校庭のイチョウの樹が 翌年の春に緑の芽を吹いて蘇ったとのことを伺い、逞しい自然の生命力にも感動させられました。Cimg1085_2

                                     

                                      

                                   

                                              

                                      

                                          また みらい館では、写真パネルやビデオにより、普賢岳の噴火・火砕流・土石流の様子や 溶岩ドーム(1億㎥位あるとのこと)の現在の状況を見ることができ、3階の展望所・4階の監視センターから 普賢岳及び 被災地一帯を見渡すことができました。 Img_0930 Img_0931_2

 現在も 直轄砂防事業として、水無川・中尾川・湯江川の3河川流域において、土砂災害対策事業(砂防えん堤・床固工・導流提・背割提 etc.)が 行われています。

 また 警戒区域内においては、遠隔操作により超大型建設機械を操縦して工事を行う 無人化施工が取り入れられています。

 次に 多くの方々が被災されたあの定点まで 許可をいただき 視察させていただきました。まさに火砕流の直撃を受けそうな場所であるにも拘らず、あの巨大噴煙を認知しながら マスコミの皆さんは、よくぞこの地に立っていたものだと率直に思いました。

 それにしても 火砕流と共に崩れ落ちた巨大岩石が、流域のいたる所に 丁度カルスト台地の如く 無数に点在している光景には 恐しさすら感じたところです。  Cimg1095                       その土石流による埋積量は 何と約4億㎥とのことでした。

 ある学者によれば、現在の普賢岳の溶岩ドーム約1億トンも いずれ崩壊する可能性があるとのこと。 もしそうなれば、人間の力による土砂災害対策事業が奏功するはずもありません。

 普賢岳の前にそびえる眉山は、過去大規模な地震により 山が崩壊し、約5億㎥の土砂が一挙に海へ流れ出しました。その結果、地域住民を生き埋めにし、対岸の天草へは 巨大津波となって押し寄せ、1万人を超える人々が犠牲となった歴史があったとのことです。

 そのような恐しい事態が起こらないよう祈るだけですが、普賢岳は 過去の大規模噴火が 1500年周期位とのことであり、その頃までには 人類の叡智により、解決されることでしょう。

 昨年の有珠山に続き、今回の雲仙普賢岳と、火山活動による被災地の視察をしましたが、自然の凄ましい、そして恐しい程の力を 改めて見せつけられたという印象を持ちました。

 火山列島日本の悲哀かもしれません。

 その夜 久し振りに温泉で英気を養い、翌日 東京へ戻り、今回の九州視察を終えました。

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