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2009年10月19日 (月)

私の体験的 地方議員論

 先般 自由民主の『私の体験的 地方議員論』のコーナーへ掲載された記事を、ブログで改めて紹介させていただきます。

”陳情を政策提言し県執行部と議会が一体となって予算編成”

 私の父は愛媛県議会議員を4期務めた後引退し、地元で製材業を営んでいました。私は早稲田大学を卒業して、川崎製鉄(現・JFEスチール)に入社し、普通のサラリーマン生活を送っていました。

 ところが、入社4年目に父が病に伏し、長男の私は、家業を継ぐにしろ、畳むにしろ帰らざるを得なくなり、不承不承で愛媛に戻りました。

 ちょうどそのころ、早稲田の先輩で県議会議員をやっていた方が、市長に転身されたために、私がその後釜に推されて、昭和58年の選挙で県議会議員に当選させていただきました。28歳の時です。

 そのとき、私より一歳下で最年少当選したのが、前衆議院議員の小野晋也さんです。先輩議員から「二人合わせて一人前」と言われたものです。

 それ以来、6期21年にわたって県議会議員を務めましたが、若いころは当時の県下70市町村にあった支部をくまなく回り、党青年局の活性化に努めました。

 2期目には私が青年局長、小野さんが青年部長となり、政治を若者にとって身近なものにしようと、キャラバン隊を組織して、県内各地を巡回し、若者たちと意見交換を行いました。

 当時、20,30代の自民党県議会議員は10人おり、全員でキャラバン隊を組んで行くと、大きなインパクトがありました。愛媛県自民党の活性化につながったと自負しています。

 その後、私は政調会長、幹事長として、県政のチェック&バランスに終始していた県議会議員が、地元の陳情を政策提言し、予算編成作業に共同参画するシステムづくりに邁進しました。

 それは地方議会に新たな仕組みを導入することであり、議院内閣制とは異なる地方議会においては困難なことでした。しかし、平成11年に加戸守行知事が就任されてからは、県執行部と議会が一体となって予算編成をしていくシステムが構築されました。県議会議員時代の最大の思い出です。

”国と地域住民の連携を図り地方再生実現が大きな役割”

 5年前の平成16年に参議院議員に転身しました。私は当時推進されていた「三位一体改革」を具体化し、地方活性化を実現する志を抱いて、国政の場に出てきました。しかし、この5年間で地方の疲弊はさらに進み、地方議員出身の一人として、何とかしなければと思います。

 国会から地方を見て痛感するのは、地方分権は単なる税財源移譲の話ではないということです。唯我独尊でもいいから、地方が独自に真剣な活性化議論を積み重ね、それを国に訴えていく必要があります。国からの視点による地方分権、地方活性化策には限界があるのです。

 地方分権、地方再生は、大ざっぱにやろうとすると、中央集権的になり、失敗しかねません。几帳面に一つひとつ議論を積み重ね、地方分権と地方再生を整合性のとれたものにするためには、首長と地方議員が、その地方出身の国会議員と、しっかりと組み、国と地域住民の連携を図り、地方再生を地道に実現していくところに、これからの地方議員の一つの大きな役割があると思います。』

 

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